東京高等裁判所 平成4年(う)413号 判決 1992年10月14日
本籍
東京都板橋区大山町二五番地
住居
同都板橋区大山町二五番八号
会社役員
野口英吉
大正一四年八月七日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年二月二一日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官小谷文夫出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年及び罰金九〇〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人堀口嘉平太名義の控訴趣意書(量刑不当の主張)に、これに対する答弁は、検察官小谷文夫名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。
そこで、原審の記録及び証拠物を調査して検討するに、本件は、青果小売業を営む会社を経営する傍ら、営利を目的として継続的に株式等の有価証券の売買を行っていた被告人が、自己の所得税を免れようと企て、株式等の売買を家族や友人名義で行うなどの方法により所得を秘匿した上、確定申告に当たって株式等の売買益を一切申告せず、昭和六一年分の所得税中六六九二万円、翌六二年分の所得税中三億七四一一万八七〇〇円をそれぞれ免れたというものであって、逋脱した所得税の額が合計四億四一〇〇万円余りと高額であること、税の申告状況も昭和六一年分が二パーセント余り、翌六二年分が一二パーセント余りと極めて低率で、税の逋脱率が高いこと、所得秘匿の方法をみると、株式の取引回数及び株式が課税要件に満たないかのように仮装するため、株式等の取引名義を分散するとともに、それに合わせて、金融機関からの取引資金の借入や入・出金口座の開設も自己以外の名義で行うなど、かなり計画的であること、その動機も、自己や家族の将来を思っての蓄財の域を出ず、格別酌むべきものはないことなどに照らすと、被告人の刑事責任は重いといわなければならない。
してみると、被告人が本件発覚後はいさぎよく自己の非を認め、修正申告をして所得税本税及び附帯税並びに地方税合計七億七二〇〇万円近くを完納したこと(昭和六〇年分を含む。)、少年時から今日まで長らく青果小売業に精を出し、近時は社会への応分の寄付なども行っていたこと、平成三年八月喉頭部の腫瘍の摘出手術を受けたこと、年齢も六〇代の半ばを超えていること、妻が病身であること等、所論指摘の被告人に有利な諸事情を十分に斟酌しても、原判決が被告人を懲役一年四月及び罰金九〇〇〇万円に処したのは、その時点においてはやむを得ないものであったというべきであるから、論旨は理由がない。
しかしながら、前記情状に加え、当審における事実取調べの結果によれば、被告人は、実刑の原判決に接し、今更ながら自己の罪責の重大さを自覚し、社会への罪滅ぼしにと法律扶助協会に七〇〇〇万円を寄付し、被告人の妻や子らにもそれに賛同して合計一一八〇万円を寄付したことなどが認められ、これら原判決後に生じた情状を加えて再考すると、未だ懲役刑に執行猶予を付すべきであるとまでは認められないものの、原判決の懲役刑はその刑期を幾分減ずるのが相当であり、これを破棄しなければ明らかに正義に反するというべきである。
よって、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、被告事件について更に次のとおり判決する。
原判決の認定した罪となるべき事実に、刑種の選択、併合罪の処理等を含め原判決と同一の法令を適用し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年及び罰金九〇〇〇万円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは金五〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 新田誠志 裁判官 浜井一夫)
平成四年(う)第四一三号
○ 控訴趣意書
被告人 野口英吉
右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴の趣意は、左のとおりであります。
平成四年五月一二日
弁護人 堀口嘉平太
東京高等裁判所第一刑事部 御中
記
原判決の刑の量定は不当であり破棄されるべきである。
被告人は犯罪事実について争うものではない。しかし以下に述べる本件犯罪の基本的性格、脱税の動機、手段、罪証湮滅の有無、犯則金の所持、使途、発覚後の態度、社会的制裁、被告人の家族の精神的、肉体的、経済的苦しみ、改悛の情等を考えると、原審の量刑は重きに失すると考えるので、以下その理由を述べることとする。
一、本件は行政性格を有する犯罪である。
一般大衆の株式の売買そのものは現代では資本と経営の分離により、経営の参加というよりは、利益追求の投機的手段と化している。そしてこのこと自体は社会自体の容認しているところである。そして本件株式売買による利益の背景には、証券業界の異常な構造的バブル経済の動きがあったことに特色があり、それだけに一般大衆投資家も異常な利益を収めることとなったものである。しかも本件所得税法違反の要点は家族名義を本人名義として計算することによる株式売買の回数制限にあったものである(しかも本件の主要な利益をあげた野村証券の株式については、殆ど名義自体としては回数制限内である被告人名義の取引によるものである)。この点本件事件は正しく行政犯としての性格(刑事罰としては損害賠償的色彩が強くなる)を強く持つものである。今日脱税犯については、一般人の納税意欲(納税倫理)を失わしめる反社会的性格を有するところから、自然犯と異なるところはないとする見解(刑罰として一般刑事犯と異ならず、実刑の色彩が強くなる)が有力である。しかしこの見解の下においても、本件回数制限による違反は行政犯的性格を強くするものである。蓋し回数の基準をいくらにするかは難しい問題であるが、立法的には行政目的に従って定められるものであることによる。
二、従前の納税の状況
被告人は長年有限会社野口商店の取締役社長として営業活動をしてきたものであるが、会社としても納税の義務を果たし、個人としても本件以外には納税の義務を果してきたものである。ここにも自然犯的な反社会的性格を見い出すことはできない。同種前科も全くない。
三、逋脱の動機、手段、方法
1、昭和六〇年中のクラレの株式など五〇〇〇万円以上の大損をした穴埋めをしようと懸命になっていたところ、株式の構造的高騰に便乗したこと。
2、家族名義を使ったこと。家族名義の問題については、家族一体といった従来の家族主義的な考えの存在すること。法律的には家族名義のものを第三者から差押をしようとしても、簡単には認められないこと(鈴木竹雄編普通預金定期預金銀行取引セミナー2有斐閣ジュリスト選書一七頁、一八頁)、租税債権の場合と一般債権の場合とで考え方に相違のあること(前掲一八頁以下)したがって常識論と税務上の考え方に差が出て来ること。家族名義にしておいて預金、株式、持分等について一旦家族が同人のものだと主張することになった場合、贈与等の問題も絡んで非常に深刻な問題となること(前掲二一頁、二二頁)、訴訟となれば長期化すること、被告人は父親の死亡が原因で尋常高等小学校中退後、家業である八百屋に専念してきたものであることから、法律的には疎いと認められること。したがって法律的に深く掘り下げて考えるということは難しく、常識的に判断するようになること。本件では家族も被告人が名前を使っていることを知っていたこと、素人的には家族の名前で借入金をおこせば当初から家族の資産となると考えること自体無理からぬ点もあること。そしてこのことは家族の資産を増やすことにつながると考えるに至ること、だからこそいわゆる架空名義を使ったりしては一切していないこと、又、このことは中村健二名義のものは同人の建物の返済金の一部に充当されていること(第四回被告人一五丁裏)、家族名義にして利益を隠す意識のなかったこと(第四回被告人一五丁裏)。又家族もそのような気持を裏付ける供述をしている(中村ます江五五四丁裏、野口英一、第三回一一丁裏)。証券会社にしても回数制限の基本原則は話しても、具体的に家族名義の実情に対しては、被告人の関与の仕方から予測できたと思われるのに、問い直すことはしていないこと(そのことによって取引をやめられると営業成績を落とし、墓穴を掘ることとなろう)。真実家族の資産であれば問題ないのであるから、微妙な問題のあること(被告人自身、家族名義で借り出して株式の取引をやることが回数制限にひっかかり刑事罰の対象となることを言われていれば実直な被告人として思い止まったことは疑を差し挟む余地はない)。せいか信用組合にしても、野口登女名義の融資につき、「実質は野口英吉さんに対する融資であると理解しております」(記録五七八丁裏)と述べているが(これは被告人が脱税になる気持もないところから、ありのまま述べていることに起因する)、仮に保証人である被告人から取立不能の事態が生ずれば当然野口登女に対し、請求、執行してくることは間違いないとみてよいのではないか(金融機関も被告人に対する融資であるなら正直に被告人に対する融資とすればよいのである。ここに素人の判断を惑わす原因がある)。こうしてみると法律専門的結論(この結論を争うものではないので、誤解のないように願いたい)から一口で言えば脱税手段のため家族名義を使ったということになるであろうが、その動機においては、しかも行政犯的動機においては同情すべき点が多々ある。
3、友人の名義で行ったこと
この点も親しい友人たちで金を出し合って、旅行の資金にしたりしているのであって、いわゆる架空名義を使って自己の利益を取得したのと、事情は全く異なる。むしろ常識的には脱税の手段としてという感覚がピッタリあてはまらないと考えて良いと思われる事案であり、その動機においては同情すべき点がある。その他については前号の家族名義で述べたところを援用する。
四、罪証湮滅の事実なし
1、既に述べたようにもともと常識的には家族名義或は友人名義そのものとすることに、明確な違反の意識がなかったものであるから、いわゆる預り知らぬ第三者の名義を使ったり架空名義を使ったりするような或は関係書類を廃棄するような罪証湮滅の跡は全くない。専門家からすれば知らぬが仏というところである。
2、一点中村健二関係の書類を同人のところへ持っていった経緯があるが、これとて調査があれば同人名義のものは同人のものであるから同人のところへなければならないという、いとも簡単な動機に基づくものである。同人名義による取引を湮滅したりする気持ちは全くなかったものである。
五、税額、逋脱率
バブル経済による株式の構造的高騰により、問題になった脱税額は数十億にのぼるものがあり、それに比すれば本件は少額であると言えるが、一般市民からすれば決して少ない額ではない。そうして逋脱率も決して少ないものではない。しかしこのような結論になった最大の原因は、被告人が回数制限についての考え方が甘かったことに起因する。この点において一般取引において売上をいくら誤魔化したかという問題と次元を異にする。回数制限に対する考え方それ自体がオール・オア・ナッシングの結果を招くに至ったのである。即ち家族名義の借入金が家族の資産であれば、回数制限にかからないが、家族名義の借入金が家族の資産でなければ回数制限にかかることとなる。しかも最も利益をあげた野村証券の株式についても既に述べたように名義自体としては、回数制限にならない被告人名義による取引によるものが殆どである。右事情を十分に御斟酌願いたい。
六、犯則所得の使途
犯則所得については、そのまま再投資したり、借入金の返済や利息に充てたほかは預金口座にそのまま残しておいたものであり、これを他に費消したことは殆どない(六二四丁裏)。昭和六〇年度から同六三年度までの修正所得金額の合計七億六二六四万八二九二円(弁護人請求番号二一、二二、二三、別表参照)に対し、納付した税額合計は七億七一九八万七九〇〇円(前掲番号四、五、六、七、八、一四、九、一一、一三、一〇、一一「一五、一六」、「一七、一八」、「一九、二〇」、別表参照)であり、更に一審では罰金九〇〇〇万円となり、右所得金額を上廻ること九九三三万九六〇八円となっている。本件脱税のために得た利益を全部吐き出し、更に約一億円弱の財産的苦痛の制裁を与えられているものである。しかも売り残した株価は暴落してしまった。
七、本件発覚後の態度
被告人は税金の細かい点には知識がなく常識的に家族名義、友人名義についてモヤモヤした考えを持っていたが、専門職である税務担当者から脱税であることを理論的に説明され、納得し、それ以降は、脱税しました。だから当初から脱税の意図で家族名義を使ったといった前提に立って別に弁解するのでもなく、実直に供述してきているものであることは、本件記録全体の流れからも伺い知れるところである。男らしい潔い供述と言っても過言ではないと思われる。そして脱税にかかわる税金もすべて完納している。発覚後の被告人の態度はまことに従順である。
八、社会的制裁
1、被告人は父親を早く亡くし、為に尋常高等小学校を中退して家業に専念し、逆境から身を起こして実直に商売をやり信用を得、それ相当の資産もでき、子供も教育し、更に社会に対しても種々寄付もし、それなりに社会的地位を得て、七〇才近く円熟の境遇にあったものである。
2、起訴され、今まで受けたことのない刑事裁判を受けることとなり、更に平成三年五月九日付産経新聞三面記事欄には中央下段三段にわたって、そして見出しは三段通しで記載され、テレビニュースにも流され、近所、知人に知れわたり、お客からは店のものに、八百屋さんて儲かるのねー、すごいわねー、と冷かされ、被告人自身も当分店に出られなく、店を手伝う家族もお客に顔を合わすのがイヤになってきたものである。
3、財産的制裁については、六項で既に述べた。
4、原審における実刑判決は、被告人にとって正に青天の霹靂であった。甘かった。実直に供述し、脱税にかかわるすべての税金を支払い、ひたすら謹慎していた被告人は勿論、家族も寛大な判決即ち執行猶予判決が下されることを願い、又そのように信じていた。原審判決の言渡は、被告人にとって夢、うつつ、幻のようにさえ思われた。しかしいわゆる監獄に入る囚人となることに思いを致すとき、そして七〇才近くにして、リンパ腺が腫れたり、咽頭癌のおそれがあると言われ、摘出手術をなし、体調悪くして投獄の身となることを思うとき、幼い頃から家業に励み、自分なりにケジメをつけてキチッとした生活をし、狭い社会ではあるが、近隣では商売においても、家庭生活においても範を垂れる存在であったこと、そして生涯努力して築き上げたすべてのものが、中途半端な法的知識しかなかったために水泡に帰し、世間に対しても、親戚に対しても、身を置くところがなく、慚愧で心を平静にしようと思えば思うほど、心騒ぐ思いで一体自分の人生は何だったのかと、寂しい思いに襲われ、胸を締め付けられている。周囲の慰めの言葉も無力である。被告人は判決言渡し当日は、殆ど口をきくことができなかった。実刑であったのかと家族に聞かれて、うなづくのが精一杯であった。一番遅くまで親元で育った三女神園節子に話したのは、四月も終わり近くになってからであった。
5、被告人より一才年上である妻登女は、神経質な性格を持ち、胃炎から胃潰瘍を患い、更に数年前、胆嚢の手術をした後、体力が衰え(体重五〇数キログラムから三五キログラムとなる)、通院する日大病院近くの大谷口の家で被告人と一緒に生活している。重い物を持ったりすることができず、日常生活においても、被告人に頼りきった生活である。今まで実直に仕事をやってきた夫である被告人が実刑になって監獄に行くことが信じられないでいる。子供のため一生懸命日夜働いて別段取り立てての道楽というもののない被告人の趣味として株式をやっていたものであって、同人の名義で株式の売買をやっていることも知っていたが、このような問題になるとは夢にも思わなかった。家族名義を使うことが回数制限に違反するということを知っていたら、このようなことを絶対にさせなかったと悔やまれてならない。原判決言い渡し当日、家に帰って口をきかず、ションボリして胃が痛いと言って食事も喉に通らないという被告人からやっと実刑判決一年四月ということを聞かされた。夜もよく眠れないようで時々うなされたり寝言を言ったり、ぼんやりしてウツラ、ウツラしているのを見て、自らも胸苦しく胃が痛くなっている。
6、子供達も、年老いた病弱の両親が実刑判決によってションボリしているのを見ると、耐えられない気持ちとなる。誰から言うともなしに被告人が刑務所にいるときに万一のことがあったら、或は母親に万一のことがあったら、と気遣っていることが、お互いにわかった。兄弟の思いは一つであった。年老いての精神的身体的環境の急変がもたらす結果が恐ろしいのである。一〇才頃から今日まで五〇余年遊びを知らず、家のため妻のため、子供のために青果商一筋に生き抜いて来た父、そして連れ添って来た母の、両親の実直な生活を見て来た子供達は、あまりにも惨めな両親の姿に目のやりどころがない。
7、以上のとおり、被告人、家族ともに実刑に匹敵する社会的制裁を受けて余りあるものと言わなければならない。
九、改悛の情、再犯の虞れ
1、被告人は、二度とこのような誤りを犯さないことを誓っているものである。
2、家族も同様に被告人には株取引を一切やらないよう関心を持つこととし、更に裁判を機に被告人に生活の第一線から身を引いてもらい、年老いて判断力が鈍っているところから、二度と事件を起こすようなことをなくするため、働き続けてきた夫婦に老後の生活を楽しんでもらうため、隠居してもらって子供達で店の経営をやっていくことを話し合い、一年後にはその体制を完了すべく(銀行、取引先等についても被告人の引退を前提として話を進めている)準備を進めている。被告人も妻登女も快くこれを承諾している。
3、被告人は財団法人法律扶助協会に、刑事贖罪寄付制度のあることを知り、罪を、金で、ということは?と一時躊躇を感じたが、社会全体に対する示談であると、説明され、そしてそのパンフレットに平成二年度一九五件の刑事贖罪寄付のうち、法人税法違反、所得税法違反事件について、一〇〇〇万円から五〇〇〇万円の寄付のあったことが記載されていることを知り、できる限りの贖罪寄付をすることを思い立ち、その工面をすることに、落ち着かない気持をやっと落ち着かせる目標を見い出した。勿論贖罪寄付によって刑の軽減されることを望む気持はある。又、それを願うものではある。然し弁護人から判決があって、思うようにならなかったと、言われても困る。と言われたのに対し、被告人は即座に「そんなケチな気持は持っておりません。私の誠意を尽くして、出来る限りの範囲で罪を償う気持からするものであって、後は判決を待つ爼の上の鯉と同じです。尚、罪が軽減されれば、それに越したことのないことも勿論です。」と答えた。率直な意見だと思う。工面できた金額は七〇〇〇万円である。
4、妻登女及び子供達も被告人が家族名義を使って株式の取引をやっていたことを漠然とではあるが、知っていたこと。回数制限についての法的な意味はよくわからなかったが、そして漠然と家族のためにやっているのだろう位に思っていたのではあるが、家族名義を使っていたことを漠然と知っていたこと自体に道義的責任があること。又多年にわたって実直に子供達のために働き、苦楽を共にしてきた夫であり、同じ血の流れる父親である被告人がこのような事態になったことについて道義的責任のあることを痛感し、それぞれ訴す範囲で道義的な罪を償いたいという気持から、被告人ではないけれども、法律扶助協会に贖罪に準ずる寄付をすることとなったものである。その趣旨は被告人が弁護人に述べたことと同一である。その明細は、長男野口英一が二〇〇万円、二男野口英治が一五〇万円、長女中村ます江が一〇〇万円、次女村野美智子が一五〇万円、三女神園節子が八〇万円、妻野口登女が五〇〇万円で合計一一八〇万円である。
5、以上のとおり被告人は、改悛の情顕著であり、被告人を取り巻く家族のもとにおいて再犯の虞れの全くないものと確信致します。
一〇、結論
1、本件は回数制限違反を要素とするもので、行政犯的性格を有するものであり、量刑については、特別予防の点も十分に斟酌するを相当と思料されること。
2、従前から納税義務を果たしており、同種前科もなく、反社会的性格を見い出し得ないこと。
3、主として家族名義を使っていること、家族名義の使用については、一般民事上も多々問題のあること。被告人は常識的に同人の取引に該当しないと考え、悪びれることもなく、せいか信用組合にもありのまま話していたこと。証券会社も家族名義の使用を知り、家族が関与していないことを知りながら、回数制限違反になり、刑事罰の対象となることを話した形跡のないこと。又せいか信用組合等も家族名義の貸付を本人に対する貸付と解しながら、又回数制限違反になることを知りながら、その旨話さず本人に対する貸付にしようとしなかったこと。これらの事情は被告人が回数制限違反とならないとの考え方を正当化することなったこと。友人名義についても、いわゆる他人名義を利用するというのではなくして、友人同志で金を出し合って分配するものであったこと。以上のほか架空名義、他人名義を使用しなかったこと等を思料すると、その動機において、又手段方法について酌量すべき点が多分にあること。
4、架空名義とか、預かり知らぬ第三者の名義を使うものでなく、又売上を誤魔化したりするものではなく、いわゆる罪証湮滅という事態のなかったこと。
5、税額逋脱率においては、問題が回数制限にあるだけにオール・オア・ナッシングの結果を生ずるものであったこと。したがって売上を誤魔化したり伝票を操作したりする悪性を懲表する税額逋脱率と同列に論じられないものであり、この点十分斟酌に値するものであること。
6、犯則所得についても、脱税にかかわる納付金により利益の金額を還元し、更に九三三万九六〇八円を補充し、更に罰金、贖罪寄付をいれると約一億六九三三万九六〇八円の経済的制裁の結果となっていること。妻子を含めると一億八一一三万九六〇八円の経済制裁の結果となっていること。
7、本件発覚後は、そして担当者から説明された後は全く従順に供述し、脱税にかかわる税金はすべて完納していること。
8、社会的地位、名誉を得、老境に入り身体も衰えた頃に、本件により起訴され、マスコミに発表され経済的制裁を受け、実刑判決による打撃を受けたことは、実刑にも優る社会的制裁を受けたものであり、この点は一般予防としての側面を有するものである。家族も同様に社会的制裁を受けていると言っても過言ではあるまい。
9、被告人も改悛の情顕著であり、今後は体制の整い次第、第一線から身を引くことにしており、家族もその体制を準備中であり、一方、同人は贖罪寄付もしており、家族も然りである。
10、被告人は昭和二四年に物価統制例違反の罰金三〇〇〇円の前科があるのみで、それ以降全く前科はない。身体も丈夫ではなく、妻も同様であり、老齢である。心細い気持である。
11、被告人も家族も現在どん底にあり、悲嘆に胸を締め付けられている状況にある。
以上に述べた諸事情を勘案するとき、藁をもすがる気持の被告人及び家族の悲痛な願いを入れ、暖かい家族に囲まれて娑婆での更生の機会を与えることが、量刑上至当と考えられ、かく解するときは、原判決の量刑は重きに失するので、原判決は破棄されるべきであると思料する。
別表
<省略>